傷だらけの起業戦士100人インタビュー第10回:株式会社 TERRE BLEUE 代表 石田 依莉紗(いしだ えりさ)さん
起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。

10人目の起業戦士インタビューは、インターナショナルに展開するオーストラリア発のスキンケアブランドCEMOY(シーモア)の、日本支社として開発・生産から販売までを手掛ける株式会社 TERRE BLEUE 代表 石田 依莉紗(いしだ えりさ)さんです。石田さんはアメリカのマサチューセッツ大学MBAを卒業後、当時務めていた化粧品会社から独立して現在の会社を立ち上げました。
祖母の元で暮らした上海生活時代
憧れから築き上げた語学講師としてのキャリア
石田さんは現在、日本に住み、日本市場に向けたビューティ・スキンケア用品の開発と生産、販売を手掛けています。しかしその幼少期、彼女の生まれ育ったのは上海でした。幼い頃に両親が離婚し、父方の祖母の家で育てられました。父は彼女が3歳の時に日本へ渡ったため、それ以降、両親と暮らしたことはありません。
周りの友達とは異なる家庭環境ではありましたが、その寂しさを克服するため、学生時代は積極的に友達を作り、勉強にも打ち込んだそうです。中でも得意だったのは英語でした。というのも、学生時代の英語の先生が大変美しく素敵な方だったそうで、その先生のようになりたい!と、強い憧れを抱いていたのです。その効果もあってか、英語に関しては学年の中でも常にトップクラスの成績を誇っていました。(ちなみに当時の1学年は500人から600人だったそうです。さすが中国ですね…)

ただ、当時の石田さんは、受験英語にこそ自信はありましたが、英会話はまるで出来なかったと言います。上達したきっかけは、大学時代の友達でした。日本語と英語がペラペラな上、見た目もハイレベルだったというその友達は、上海に来ているビジネスマン向けに英語で中国語を教えていたのです。石田さんはそんな彼を間近に見て、こんなかっこいい仕事を自分でもしてみたい!と憧れます。相談すると、彼はまずアルバイトから始めてみては、とその語学学校を紹介してくれました。石田さんは「私はすぐに人に憧れちゃうんですよね。」と笑いながら当時を振り返ります。両親がいない中でも、身近にいる人の中から、自分が目指すロールモデルを見出そうとしていたのかもしれません。
紹介された語学学校では、始めこそ緊張の日々だったそうですが、講師の中でも厳しい指導に定評があった石田さんは、優秀な講師として評価され、大学卒業後には正社員になりました。仕事は多忙を極めましたが、当時まだ20代の石田さんはエネルギーとやる気に満ち溢れ、仕事もプライベートも順調で、充実した毎日を過ごしていました。
父親の入院で上海から日本へ。
帰化を経て、ゼロからの再スタート
しかしそんなある日、日本の大阪にいる父親から突然連絡が入りました。持病が悪化し入院することになったというのです。離れて暮らしていても、当時の石田さんにとっては残された唯一の家族。年齢的なことを考えても、一人で入院することになった父親を放っておくことはできませんでした。上海での生活は一旦捨てて、1年間日本で頑張ってみて、もしダメなら戻ろう、と覚悟を決めて、日本へ渡ります。
石田さんが日本へ来てほどなくして、父親の病状も無事に落ち着きました。そしてその時、父親は自身が日本に帰化していたこともあり、彼女にも日本への帰化を強く薦めました。しかし当然ながら生まれ育った中国と言う国籍を捨てるのは、並大抵の決断ではありません。それでも、既に上海での生活を諦めて日本へ来たこと、唯一の家族である父親や自分の今後のことなどを考え、帰化することを決意しました。
その後、日本語学校を修了した石田さんは、このまま就職するか大学院で更に勉強をするか、迷っていました。しかしある時、気軽な気持ちでハローワークへ立ち寄った際に、英語と中国語が出来る人材を求めている企業が多いことを知ります。そこで気になった企業へ応募すると見事内定を勝ち取ることが出来、化粧品メーカーへの就職を決めました。

大阪弁&専門用語が分からない…
初めての日本企業で経験した挫折と成功
入社した会社は、OEMで化粧品の開発・製造などを手掛ける、130年以上の歴史ある老舗化粧品メーカーでした。ちょうどその頃、海外事業部を起ち上げ、日本製の化粧品でアジア圏での展開に力を入れていたのです。
意気揚々と入社初日を迎えた石田さんでしたが、すぐに大きな壁にぶち当たります。そう、そこはコテコテの大阪企業。大阪弁で専門用語をまくしたてられ、何を言っているのか全く分からなかったそうです。仕事も言葉も文化も全く慣れない中、ストレスで入社から半年間は蕁麻疹が続いた程でした。先が見えず不安で、本当に就職したのが正しかったのか、と自問自答する日々。
そんな彼女に転機が訪れたのは入社半年を過ぎた頃でした。ロンドンでセレクトコスメを取り扱っていた大手企業から受注を勝ち取ったのです。なんと12製品も一度に開発を任されるという一大プロジェクト。このことをきっかけに自信をつけた石田さんは、アメリカ、カナダの企業からも受注を取りつけることに成功します。
しかし実績が上がり自信がつくに従って、更に新しいことに挑戦したい自分の理想と、勤めていた老舗会社の慎重な姿勢との間に、埋めがたいギャップがあることに気が付きました。このまま、やりたいことが思うように出来ずに、ここに残るべきか疑問に感じ始めたのです。
やりがいと更なるステップアップを求めて
MBA取得と独立までの道のり

そんな時、前述のロンドン企業で元々コンサルタントをしていた女性から、自分が新規で起ち上げる会社で、日本製の商品を開発・生産したいので手伝ってほしい、と相談を受けます。その頃、OEMではなく自社ブランドで開発する仕事に関わりたいと思っていた石田さんはそのオファーを快諾、その女性が起ち上げたアメリカのコスメブランドの日本製商品を担当することになりました。
アメリカ企業だったこともあり、結果重視で自主性を重んじる、その企業風土が合っていたと言います。もっとこの会社に寄与したい!という思いから、働きながらアメリカのMBAを取ることを決意しました。ビジネスが拡大し、日本をはじめとするアジア進出の話が出た時に、自分でも貢献できるように準備をしておきたい、という思いが強かったそうです。
多忙な業務の合間でMBAの勉学にも励んでいた石田さんですが、会社の規模が次第に拡大。それに伴って、仕事よりも社内政治によるストレスを抱え始めます。加えて、なかなか進まないアジア進出にも、もどかしさを感じ始めました。
そんな入社7年目を迎えていた時、オーストラリアのスキンケアブランドCEMOYから、日本支社を起ち上げてもらえないかと相談を受けます。もともと付き合いのあった化粧品容器メーカーのディレクターからの紹介でした。石田さんはこの時のことを「もしMBAで勉強していなければ、自信が無くて依頼を受けられなかったかもしれない」と思い返します。多忙な中、MBAに取り組んでいたことで自信が得られ、また、しっかりと自分の仕事をこなしていたからこそ巡ってきたチャンスでした。
自分が出来ることで
働く女性を応援したい

現在はCEMOYの日本支社として、日本での生産、販売も任されている石田さんですが、これからの展望を聞いたところ、次のような答えが返ってきました。
「働く女性を応援したいんです。」
もちろん、CEMOYブランドを日本に浸透させたい、という思いは短期目標として掲げているものの、最終的な目標はもう少し大きなもの。自身は中国で生まれ育ち、老舗の日本企業とアメリカ企業に勤めた経験から、日本をはじめとしたアジア諸国では、まだまだ女性の地位が低いということを感じているそうです。日本企業のマネジメント層における女性率の低さを垣間見てきたこともあり、ブランドや商品を通じて、現状を変えられるようなメッセージを発信し、少しずつでも何か今の社会に影響を与えることが出来れば、と石田さんは言います。
更に、これから起業したい人に向けてのアドバイスを伺ってみました。
「物事が思い通りにならないのは当たり前です。トラブルが起こっても、なぜ起こってしまったのかを嘆くより、トラブルを認めて、解決法をまず探して、どうすれば良いのかを考えてください。解決策が見えたら後はそこに向かうだけ良いんです。これまでの私もその繰り返しでしたから。”When there is a will, there is a way!(=意志あるところに道は開かれる。)” ですよ。」
失敗を過度に恐れる必要は無く、そこから学べば良い。とにかく飛び込んでみる、ということの繰り返しだった石田さんらしいアドバイスですね。少しでもみなさんの参考になることがあれば幸いです。
今回お話を伺った石田さんの事業や取り扱い商品に興味がある方は以下のURLを覗いてみて下さいね。
また、現在Makuakeページ内でのクラウドファンディングにも挑戦中とのことです。みなさん是非、石田さんの挑戦を応援してあげて下さい。
CEMOY
https://cemoy.jp/
CEMOY Makuakeプロジェクトページ
https://www.makuake.com/project/cemoy/