傷だらけの起業戦士100人インタビュー第20回:株式会社HIVE 岸田大典(きしだひろふみ)さん

起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。

株式会社HIVE 代表取締役 岸田大典(きしだひろふみ)さん

第20回目の起業戦士インタビューに応じていただいたのは、株式会社HIVE の岸田大典(きしだひろふみ)さんです。学生時代のバイト仲間と事業を始め、数々の多様な事業へと手を広げた後、現在では東京、大阪、福岡、沖縄で展開する宿泊施設の運営に加え、コンサルティング事業も行っています。大学を卒業後、周りが当たり前のように就職していく中、大学在学中に仲間と株式会社を起ち上げ、現在に至るまでの道のりを詳しくお伺いしました。

部活中心の生活から一変
大学ではバイト三昧の日々

幼少期を兵庫県宝塚市で過ごした岸田さんは、ごく一般的なサラリーマン家庭で育ちました。父親は半導体などのエンジニアで、母親は教育関連に従事する家系だったため、教育熱心だったと言います。「真面目に勉強して、いい大学に行きなさい」という親の教えの下、目立った反抗期もなく、岸田さん曰く「いたって普通の学生」だったそうです。当然のように宿題はきちんと終わらせ、当時流行っていたゲームにも一切触れてきませんでした。小学校を卒業するまでは午後8時までに就寝するというルールのために、学校で話題になるようなバラエティ番組などもあまり見ることなく育ちました。

小中学校では野球チームに所属して情熱を注ぎましたが、勉学の方と言えば、良くも悪くもなくごく一般的な中間層。中学では塾へ行き始めたことをきっかけに、周囲の影響もあり多少の改善も見られましたが、それでも最高クラスに入れるほどには至りませんでした。

高校では野球からバレーボールに転向し、楽しく真面目に打ち込み、部活生活を謳歌しました。転向の理由について岸田さんは「野球部の厳しい上下関係や体育会系独特の雰囲気が自分には合いませんでした」と当時を振り返ります。しかし、いよいよ部活も引退となると待ち構えているのが大学受験です。進学を機に家から出たいと密かに思っていた岸田さんは、それまでの部活生活から一変、猛勉強の日々に切り替えました。部活に情熱を注いでいた岸田さんにとっては、部活引退からのほんの数ヶ月が勝負だったのです。近所の予備校の自習室に忍び込み、毎日12時間以上、試験勉強に没頭しました。完全な短期集中型でしたが、持ち前の実行力と瞬発力も相まって、指定校推薦の切符を勝ち取り、無事に志望大学英文科への進学を決めました。

大学ではよりカジュアルに楽しめるバレーボールサークルに所属しながら、バイトに明け暮れます。冬はゲレンデで働き、夏は沖縄でサーフィン、それ以外にも有線チューナーやWiFi通信の営業をするなど充実していました。というのも、これまで部活中心だった生活に終止符を打ち、大学からは新しいことを中心にやってみたいと思っていたのです。

大学生時代の岸田さん。バイト仲間とともに

客引きバイトで学んだ営業スキル
仲間たちと独立の道へ

数多く体験したアルバイトの中でも、特に販売営業の仕事には手応えを感じていました。バイト先の出来る先輩たちのやり方を見よう見真似で取り入れるうち「営業の基本」が身につき、営業成績はトップクラスへと上がって行ったのです。とりわけ、繁華街にある飲食店での「客引き」の仕事はその後のキャリアパスにもつながる体験でした。

大学4年生の頃にはすでに客引きのバイトで月30万円以上を稼ぐようになっていました。一方で就職についてはあまり積極的にはなれませんでした。バイトの月収がすでに大卒の初任給より多かったこと、会社のいち社員として人生の大半を捧げるのは違うと感じていたこと、他人に命令されて動くことに抵抗を感じていたことなどが主な理由です。

そこで自分を見つめ直すために、ニュージーランドへ旅立ちました。現地でアルバイトをしながらバックパッカーとして色々な場所を巡りました。さまざまな体験や出会いを通じて回帰したのは「『働くこと』からは逃れられない」という気づきでした。当時、乗り気にならないなりにも、いくつかの企業からは内定ももらっていた岸田さんでしたが、やはりどこか就職には後ろ向きでした。その頃、同じく客引きで成績上位だった友人が、「飲食店で事業を始めたいから一緒にやらないか」と声をかけてきました。ちょうどニュージーランド帰りで住む家もなかった岸田さんは、その友達の家に泊めさせてもらうという条件付きで、会社創業のメンバーに入ることにしたのです。これが初めて事業立ち上げに関わった経験で、大学4年生の頃のことです。

事業を起ち上げて法人化した後、最終的には11店舗、年商も約6〜7億円を売り上げるほど軌道に乗っていました。その反面で、飲食店での客引きについては岸田さん曰く「ややこしいこと」が日常茶飯事のように起こっていたそうです。

初めての事業で成功を収めるも
その裏で争いや警察沙汰も…

迷惑防止条例がまだ整っていなかった当時でも、客引きについては通報されることがよくありました。そのため、「ぼったくりだ」と警察に連れて行かれ、任意同行で取り調べを受けて朝まで拘束される、といったことも珍しくなかったと言います。それに加えて同業者同士のテリトリー争いや、言い争いの末に傷害に発展したり、ある時には複数人に取り囲まれて車で連れ去られそうになったことさえありました。

それでも会社には従業員がすでに100人以上、店舗も10店舗以上展開する中で、「ややこしい」からといって事業を止めるわけにはいかなかったのです。

経営メンバーやスタッフともよく旅行や遊びに出かけたという岸田さん

転機が訪れたのは迷惑防止条例の整備が進み、本格的に客引き行為が条例違反として摘発されることになった時のこと。経営的には順調に規模を拡大していた飲食事業を縮小する決断をしました。大阪、京都、神戸などに店舗を展開していたこともあり、手続きは膨大だったと言いますが、当時の従業員も巻き込んでなんとか処理を終えました。

しかしその後も、岸田さんは残ってくれた従業員の受け皿になるよう新規事業の道を模索しました。家庭教師の派遣やテレアポ、WiFi通信やスマホなどの契約営業など、これまでの知見を活かしてできるあらゆる事業を起ち上げましたが、残念ながら結果はすべて失敗でした。新たな事業に挑戦してはうまくいかずに頓挫する、といったことが続いたのです。  

失敗続きの新規事業
転機となったゲストハウス

事業も上手くいかず、従業員も1人また1人と岸田さんの元を離れていき、ついにはほぼ全員が辞めてしまいました。それでも岸田さんはこれまでの様々な出来事から起死回生を図り、宿泊事業に集中するべく舵を切りました。まったくゼロからのスタートになりましたが、貪欲に数字を追いかける営業を軸とした事業のあり方に限界を感じたこともあり、人を喜ばせられるような事業へ転向しようと決めたのです。

まず、営業許可の取りやすい簡易宿所からスタートすることにしました。英文科出身で英語にも抵抗がなく海外生活の経験もあったこと、外国人観光客が増加しつつあるものの、まだ国内に競合はほとんどいないことなどから”ゲストハウス”が最適と判断します。とは言え、宿の事業については知識も経験もありません。競合の施設に泊まりに行って話を聞いたり、従業員の面接で経験のある応募者から「何人くらい社員がいたか」「どういうシフトで働いていたか」など、それとなくヒアリングしながらイメージを膨らませていきました。

東京・日本橋にオープンしたゲストハウス。1階には気軽に立ち寄れるカフェを併設する

未経験からはじめたゲストハウス経営でしたが、いざオープンしてAirbnbのサイトに掲載したところ、なんの宣伝もせずともあっという間に予約で埋まりました。需要は予想以上に多く、常に満室の状態が続いたのです。

こうして宿の事業を展開させるために誕生したのが「株式会社HIVE 」です。オープンから5年ほどは順調に業績を伸ばしていましたが、思いがけない出来事が待ち受けていました。

コロナで売上ゼロの大打撃 倒産の危機を救ったもの

ーーー2020年、新型コロナウィルス蔓延。

この年、旅行業界は大打撃を被り、岸田さんのゲストハウスも例外ではありませんでした。売上は毎月ゼロにも関わらず、固定費で毎月500万円が減り、口座にはわずか1500万円という数字を目の当たりにした時に、これまでにないほどの絶望感を味わいました。「正直なところかなり際どいところまで追い詰められていました」と岸田さんは当時のつらい精神状況を教えてくれました。それでも事業譲渡と助成金でなんとか1年を綱渡りで切り抜け、コロナ禍でも展開できるEC事業に手を伸ばしたり、自らは別の会社に所属して報酬を得たりしながら、生きるか死ぬかのパンデミック期を乗り超えました。

岸田さんはその時の失敗から学んだことを次のように語ります。 「色々なシチュエーションを想定しながらポートフォリオを整備しておけば、パンデミックや災害時でも柔軟に対応できたと痛感しました。同じ事業にしがみつくより、時代の需要にあわせて変化したり、リスク分散することも大切。リスクヘッジのために、宿泊事業から派生させて不動産事業なども検討しています。不動産の知識があればまた別の事業展開にも活かせそうですし、新しいことを常に探しておけば、いざという時にリスク回避できます」

ゲストハウスの共用部では宿泊客が自由にくつろいで過ごしている

最後に、これから起業する方へのアドバイスを岸田さんに教えていただきました。

「楽しいと思える苦労をした方が良いと思います。ただしんどいだけであれば、その事業は辞めた方が良い。そもそも起業というのは好きなことを選べるはずです。これまでに僕もたくさん事業で失敗してきましたが、楽しいと思えなくなったり、儲からない事業については見切りをつけ、常に別の道を探ってきました。時代の変化や状況に合わせて変わっていくのは当たり前のことなので、ひとつのことに固執しすぎず、苦労の中にでも”楽しさ”を感じられる選択をしていくのが良いと思います」

数々の事業を起ち上げてきた岸田さんが経営する株式会社HIVE に興味がある方、事業の相談をしてみたいという方は是非以下のウェブサイトからご連絡ください。

株式会社HIVE   

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