傷だらけの起業戦士100人インタビュー第21回:有限会社 日本ゴム製作所 亨 美江(とおる みえ)さん

起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。

Mie Tor

有限会社 日本ゴム製作所 亨 美江(とおる みえ)さん

第21回目の起業戦士インタビューに応じていただいたのは、有限会社 日本ゴム製作所 亨 美江(とおる みえ)さんです。水道管などに使用されるゴムパッキンを中心として300を超える製品を取り扱い、祖父の代から続く創業70年の町工場を、東京の下町で親子二代に渡って切り盛りしています。今でこそ工場の跡取りとして、原材料の手配から現場での製造作業、事務まで様々な業務をこなす亨さんですが、もともと全く興味がなかった「親の事業を継承する」という選択肢に至るまでに、一体どのような道のりがあったのでしょうか。詳しくお話を伺いました。

第21回目の起業戦士インタビューに応じていただいたのは、有限会社 日本ゴム製作所 亨 美江(とおる みえ)さんです。水道管などに使用されるゴムパッキンを中心として300を超える製品を取り扱い、祖父の代から続く創業70年の町工場を、東京の下町で親子二代に渡って切り盛りしています。今でこそ工場の跡取りとして、原材料の手配から現場での製造作業、事務まで様々な業務をこなす亨さんですが、もともと全く興味がなかった「親の事業を継承する」という選択肢に至るまでに、一体どのような道のりがあったのでしょうか。詳しくお話を伺いました。

親の事業には興味ゼロ
東京に憧れる十代

亨さんは幼少期を埼玉県で過ごしました。両親はすでにその頃から東京で工場を経営していましたが、亨さんは将来自分がその工場を継ごうなどという意思は皆無だったと言います。両親は常に家におらず、一人っ子だったこともあり、一人で本を読むのが好きなおとなしい子どもでした。しかし、小学校3年の頃に担任の先生から「美江ちゃんもおともだちと遊ぼう」と誘われたことをきっかけに、友達と遊ぶようになった亨さんは、その秘めた社交性が開花しました。親が日中家にいないため亨さんの自宅はいわゆる”たまり場”になり、多くの友達に囲まれて日々賑やかに過ごすようになったのです。

道徳的なしつけには厳しかったという母とともに。少し緊張気味の亨さん

そうした友達の影響もあり、中学校は受験して千葉にある私立へ進みました。最初はバス通学に憧れて通い始めた中学でしたが、通学に1時間半もかかる場所にあったため、早起きが苦手な亨さんは次第に学校へ行くことが苦痛になります。一学期を過ぎた頃に限界を迎えた亨さんは素直に母親に相談し、近くの公立に編入することを許してもらいました。

中学では陸上部で活躍し、3年になると部長に選出された亨さんでしたが、早起きに弱いことが原因で朝練には参加しなかったそうです。部長が来ないことで朝練は次第に行われなくなり、撤廃となりました。部長が練習を減らすことはかなり珍しいことですが、当時の本人は特に違和感はなかったようです。

高校に進学しても陸上部は続けました。専門は短距離走でしたが、練習ではもちろん長距離や砂浜ダッシュなど、かなり過酷なメニューをこなさなければならず、心身ともに鍛えられたと言います。しかしその一方で思い出すのは、そんな状況下でも「どのようにすればサボれるかばかり考えていた」ということでした。それもそのはず、高校生にもなると友達と東京に遊びに行くことも増え、そのキラキラした都会や、大人になることへの憧れが芽生え始めて「いつかシモキタに住みたい」と憧憬を募らせていたのです。

陸上部にて活躍した学生時代

いざ憧れの東京生活へ
キャリアウーマンを目指して

高校卒業後に進学したのは、御茶ノ水にあるビジネスと英語を専門に教える専門学校でした。東京でキャリアウーマンになることに憧れを抱いていたこともあり、母に勧められるままそこへ入学しました。その学校では英語教育の一環として留学プログラムも提供しており、亨さんも友達に誘われてそのプログラムに申し込み、アメリカはカリフォルニア、サンノゼにある学校へ3ヶ月の短期留学へ行きました。

しかし、実際のホームステイはキラキラしたイメージの留学とは程遠いものでした。ステイ先のママは大変しつけに厳しい人で、部屋の片付け、洗い物、洗濯など完璧にこなさなければならなかったのです。とにかく怒られないようにと気をつけながら、言葉があまり分からないとまた怒られるかもしれないと、家にいるときはひたすら英語の勉強をし、学生なら一度は遊びに行きたいであろう観光地などに外出することもほとんどありませんでした。ただ、このことが功を奏して、出国前は英検3級レベルだった英語力は3ヶ月で英検2級レベルにまで伸ばすことができたと言います。

専門学校ではそれ以外にも秘書の仕事、オフィス系のPCスキル、マナーなどの基本からビジネスに関する一通りのことを教わりました。ビジネスで必要なスキルに特化した学校のため、通常の四大よりも就職率はかなり高く、氷河期にも関わらず亨さんもすぐに銀行の子会社に就職が決まりました。入社のきっかけは、外為専門の部署だったため、英語を使って仕事をできたらカッコいいかも!というシンプルなものでした。

憧れの東京でのOL時代。

朝起きられない…社会人としての壁
そしてニート生活からの脱却

初めての就職先の仕事は、先輩が厳しく大変なこともありましたが、内容としては楽しめるものでした。職場の雰囲気も悪くはなかったものの、3年目を過ぎた頃から変化が現れ始めました。4年目にさしかかると毎日同じ業務をしていることもあり、単調な仕事に飽きを感じ始め、毎朝決まった時間に起きることができなくなってきたのです。そしてある日遂に「辞めます」と上司に告げ、会社を辞めた後は12ヶ月もの間バリ島やオーストラリアで過ごしました。

帰国した後もとくに働くでもなく、実家に戻って居候する生活が始まりました。しかし一向に働く素振りを見せない娘に業を煮やした母親から「昼からでも良いから手伝いに来て」と言われ、工場で半日だけ働くことになりました。最初は特に望んで始めたわけでもない仕事でしたが、なんとなくで5年ほどそのバイト生活を続けていた時、すべてを揺るがせる事態が起こります。

なんと、それまで工場のメインの業務をこなしていた父親が癌に倒れ、突如入院することになってしまったのです。

海外で羽を伸ばしまくっていた頃の亨さん

責任者としての”覚悟”の芽生え
危機脱却で見えた”事業継承”への決意

工場に関わる重要な業務や情報のほとんどは、データに残っているわけでもなく、父親しか把握していないという状況でしたが、それでも工場の稼働を止めるわけには行きませんでした。それまでアルバイトのような感覚で仕事に関わっていた亨さんでしたが、さすがにこの危機的状況には立ち向かわなければならないと感じました。その時初めて工場のスタッフとも向き合い、周囲にサポートももらいながら、手探りの中とにかく業務を止めないようにと必死でした。そうこうするうち、亨さんにもできることが徐々に増え、事業を守る責任感のようなものも芽生え始めたと言います。

その後、治療を終えて父が現場に復帰し、工場も元の状態に戻るかと思われましたが、今度はトラブルで、長年勤めていた工場長も優秀な技術者も辞めてしまい、主力メンバーが2人も不在になるという事態が起こりました。それでもなんとか納期に間に合うようにと近所の人や知り合いを集めて手伝ってもらい、亨さん自身も現場に加わって色々なスキルを身につけながら、ギリギリのところでなんとか危機を乗り越えたのです。必然的にやらざるを得ない状況だったとは言え、技術や経験、知識も体力も必要な業務に関わることで、これほど大変なことを両親はずっとやってきていたのか、ということにも気づかされました。この経験を通じて亨さんの中で、この事業を自分が継承する、という明確な意識が芽生えました。

日本ゴム製作所の工場内。200℃近くにもなるマシンを扱うため特に夏場は過酷な環境だそう

その後、このままの自転車操業状態で業務を回すのは危険だと判断した亨さんは、2023年に新たに主力メンバーになる社員を雇いました。この新メンバーの投入は大正解で、器用で体力があるだけでなく、人柄も良くメンバーともすぐに馴染み、職場の雰囲気も明るくなったそうです。「色々と相談もできる心強いメンバーが入ったことで、会社全体が安定したように思います。少数精鋭だと一人ひとりの持つ影響力がとても大きいので、経営において人材は本当に重要な要素なんだと再認識しました」

今では会社の業績も社内の雰囲気も安定しており、社員と余裕を持ってコミュニケーションできているという亨さん。最後に今後の展望と、経営者を目指す方へのアドバイスをお伺いしました。

「とにかく今いるメンバーが仕事をしやすい環境を整えてあげることが目下のミッションです。なにかが起こった時にすぐ報告できるような風通しの良い関係性を築くことも会社にとって重要だと思っています。それから、経営者になるならある程度の『覚悟』は持っておくことをおすすめします。それがあるだけで、スタッフも安心して働けますし。とは言えあまり一人で抱えると潰れてしまうので、相談できる相手や、信頼できるパートナーがいれば無理せず頼って下さい」

今回はゼロからの起業ではなく、興味ゼロの状態から、長年続く町工場の継承を覚悟した亨さんにお話を伺いました。乗り越えなければならない困難な状況や、やらざるを得ない環境に立たされることで、人は責任感や深みが増すのだと改めて考えさせられる興味深い内容でした。事業継承も立派な経営者への道です。みなさんも是非、ご自身のキャリアの参考にしてみて下さいね。

Follow me!