傷だらけの起業戦士100人インタビュー第3回: 株式会社グローバルアップライズコンサルティング 代表取締役社長 齋藤 浩史 様

起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。

かつては俳優を目指された齋藤浩史さん。今ではMBAの人気講師も務めています。

3人目の起業戦士は、株式会社グローバルアップライズコンサルティング 代表取締役社長 齋藤 浩史(さいとう ひろし)さんです!齋藤さんの現在のお仕事はマサチューセッツ大学のMBA講師とITや教育のコンサルティングや企業研修を軸として起業されていて、中でも近年では特に後進の育成に重点を置いているそうです。それでは早速、齋藤さんが起業されるまでの道のりを聞かせていただきましょう。

バイト先の店長と大喧嘩?!そのまま日本を飛び出し
スターを夢見て、アメリカNYのブロードウェイへ

齋藤さんは、ご両親とも日本から一度も出たことが無いという、ごくごく一般的な日本人家庭で育ちました。一体いつどこで英語への関心が高まったのかという問いに対して「そういえば…」と幼少期のことを教えてくれました。3歳くらいの時、航空会社のマークを見ただけでどこの航空会社のものかを全て言い当てることが出来る天才児として地元の新聞に取り上げられたことがあるのだとか。「思い返せば、海外に出たいという思いが潜在的にあったのかもしれない。」と、当時を振り返ります。

そんな齋藤さんは、10代の頃は当時付き合っていた彼女の勧めもあり、俳優を志していたそうです。しかし、現実はそんなに甘くなく、鳴かず飛ばずの日々が続きました。転機が訪れたのは18歳の頃、アルバイト先の店長に「お前は中途半端で全く売れないじゃないか、海外でも行って俺を見返してみろ!」と吹っ掛けられ、大喧嘩に。なんとそのまますぐにアメリカ行きを決意し、ニューヨークのブロードウェイを目指して日本を飛び出します。

それからは、ニューヨークの日本食レストランなどでアルバイトをしながら、小さな舞台に立つ毎日が始まりました。しかし、どの国でも俳優業の厳しさは変わりません。役をもらえたとしても、劇場のチケットは思うように売れず、集客は大変でした。そうこうするうちに日本へ戻る旅費すらもままならなくなります。

俳優を目指していた20代。確かに俳優を目指したくなる気持ちも分かる見た目です。

夢破れ、食えない日々からの大逆転!
無料で大学行き&超大手ゴールドマンサックス入社

そんな息子を見かねた母親は心配し、ニューヨークに住む親せきの叔母に会うよう勧めてくれました。その叔母が紹介してくれたアルバイトがヘッジファンドの仕事。「ヘッジファンド」という言葉すら知らない齋藤青年でしたが、日本語と英語が話せる若者というだけでなんと仕事をゲットしたのです。当時のアメリカはITバブル。多くの大手銀行が日本からもビジネスチャンスを狙ってやってきており、会社としてはその日本の銀行とのやり取りが出来る人材が必要でした。仕事を得た齋藤さんは、持ち前の人懐っこさを発揮して、在ニューヨークの邦銀支店へと次々に訪問し、その後、頭取や副頭取になる人たちとのネットワークを広げていきました。

そしてそんなある日、ゴールドマンサックスの先輩社員が「とりあえずお前は大学を卒業しろ」と大学進学を薦めてきました。しかし当時の齋藤さんにはそんなお金はありません。正直にそう伝えると、なんと彼はポケットマネーでニューヨーク市立大学へ進学させてくれたのです。なんとも景気のいい話ですが、とにかくそこで投資・金融の基礎をみっちり学びます。晴れて卒業を迎えた頃には、すでに錚々たるキーマン達に気に入られていた齋藤さんの手元に数々の推薦状がありました。それらの武器を以て面接に挑み、ゴールドマンサックスでの内定を獲得したのです。

ゴールドマンサックス時代。バリバリのサラリーマンという雰囲気です。

俳優×金融×英語。俺にできることは「先生」だ!
母親の介護を経て掴んだ「先生」の座。そして起業。

ゴールドマンサックスで、一分一秒を争うトレーディングの世界を3年間経験し、その後入社したモルガン・スタンレーでは、財務省と投資家を相手に世界中を飛び回る資金調達の仕事に従事した齋藤さんは、グローバルビジネスと金融のプロフェッショナルとして着実にキャリアを構築していました。しかし2008年、金融業界を大きく揺るがせたリーマンショックが起こります。このことは人生を見つめなおすきっかけになったと言います。これまで夢中で走り続けた金融業界での仕事を離れて、自身のスキルを見直し、自分にできることは何なのか?と考え始めたそうです。

ニューヨークで磨いた「俳優」というパフォーマーとしての技術、そして企業で学んだグローバルな「金融」の実務や知識、更に常に生きたビジネスの会話で培ってきた「英語力」。これらをかけあわせた時に、「先生」という職業が浮かび上がりました。「そうだ、俺は先生になろう!」と決めた齋藤さんですが、その一方で当時、少し体が弱りつつあった母親の存在が気がかりでした。そこで最短ですぐに帰ってこられるMBAを取ろうと、2年ではなく1年でMBAが取得できるイギリスのバーミンガム大学へ行くことに。

MBAを取得したイギリス・バーミンガム大学

無事にMBAを1年間で取得した後、日本へ戻りはしましたが、母親の病気が悪化したことで、貯金を切り崩しての介護生活がはじまります。病院などの医療費、そして施設の費用など2年間に出費した金額は想像以上に莫大なものでした。退職金を蓄えていたそうですが、それらの貯蓄もすべて使い果たしてしまったと言います。

こうして再びお金を稼ぐ必要に駆られた齋藤さんは、いくつかの企業研修セミナーなどの仕事をして食いつないでいました。そんなある時、仕事でお世話になっていた先輩から、マサチューセッツ州立大学でビジネススクールの講師をやらないかと誘いを受けます。もともと心に描いていた「先生になる」という夢への努力がここで実を結んだのです。

その後、今の共同経営者と起業することになるのですが、きっかけは完全に「勢い」だったそうです。共同経営者と株式会社という箱を作って、中身は後から埋めていこう、というスタイル。共同経営者はITを、齋藤さんは教育をメインで、お互いがそれぞれの事業として成功していると言います。「個々の事業では、うまくやれている。しかし、まだまだ事業モデルとしては発展途上の段階ですね。今の現代で求められるITと教育2つをいかに融合させていくかがやはり今後の課題」だそうです。そして、今後はITを織り交ぜて、自身が持つ知識や経験を元に後進育成をしていきたい、というのが今描いているプランだそうです。

これからの経営者は「夢を語れるバカがいい」

最後に「これからの経営者に必要な資質」について伺ってみました。

「かつての経営者は剛腕社長がほとんどだったけど、それだと夢が無いじゃない?実力なんてなくても、これからの経営者は夢を語れる人、夢を本気で実現しようとするバカが良いと思うんだよね。すごくなくてもいい。周りが助けたくなるような人。例えるなら“ワンピースのルフィ”。馬鹿だし何もすごいことは出来ないけど「海賊王」になる!って夢を語って、それにみんながついていって、助けてくれる。だから賢くなる必要はないんだよ。“こいつの夢に乗っかってやろう”と思わせるほど、その夢を信じられる力が必要。それが中途半端だと、デキる人にはすぐバレて、ついて来てくれないからね。」

確かに、夢を語れる熱い人の方が、透明性があって求心力が高く、共感を得られる、今のリーダーにはふさわしいかもしれません。
今回、お話を伺った齋藤さんに、ご質問やお仕事のご相談がある方は以下からお問い合わせください。

◆齋藤浩史ホームページ
https://www.hiroshijbsaito.com/

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