傷だらけの起業戦士100人インタビュー第4回:Naturica(ナチュリカ)合同会社 代表 大島 愛(おおしま あい)さん

起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。

思い立ったら即行動!とにかく好奇心旺盛でエネルギッシュな大島さん

今回の起業戦士は、Naturica(ナチュリカ)合同会社 代表の大島 愛(おおしま あい)さんです!大島さんは現在、コスタリカ産コーヒーの輸入販売を通じて、障害を持つ方々の生活を豊かにするための活動をされています。本シリーズ初となる女性起業家の大島さんは、作業療法士として会社勤めをしながら自身の事業で代表も務められています。そもそも何故コスタリカなのか?障がい者支援を始めたきっかけは?など色々と気になるお話を伺いました。

人と関わりながら、医療の分野で活躍できる場を求めて

大島さんは、中学から高校までバドミントン部に所属し、青春の思い出は全てバドミントン一色だったそうです。学校で最も厳しいラグビー部に次ぐほどの部活で、女子の部活としては相当ハードだったのだとか。思い起こせば夏休みもほとんど無く、ひたすら練習や試合の日々を過ごしていました。

そんな超スポーツ少女だった大島さんですが、高校の頃には、自分の進路について漠然と「医療の分野で、自分の体を動かしながら、人と関わる仕事がしたい」と考えていたそうです。祖父が医者だったこともあり、将来は何か医療に関わる仕事を、ということだけは決めていたのです。そして栄養士、薬剤師など様々な職業を検討した結果、自分のやりたいことに最も近かった作業療法士になるべく、作業療法学科のある大学へ進学しました。

大学卒業後は無事に国家資格を取得し、4年間病院で作業療法士としてのスキルと経験を身に着けました。しかし大島さんには「海外に行きたい」という密かな野望がありました。というのも、通っていた中高一貫の学校では海外留学が盛んで、留学から帰ってきた友達が英語を流暢に話す姿を見て「かっこいい!」と憧れを抱いていたのです。母親が英語教師だったこともあり、その思いは日に日に強くなっていったと言います。そして病院での仕事が2年目を迎えた頃には、「絶対あと2年で仕事辞めてワーホリでオーストラリアへ行く!」と決めていたのです。

オーストラリアへは学生時代に一度だけ海外研修で3週間滞在したことがあり、その時のホムステイ体験があまりにも素晴らしかったため「絶対ここに住みたい!」と思いを強めたそうです。そしてその時の決意を実行するべく、無事(?)4年で病院での仕事を辞めた大島さんは、飛行機のチケットを握りしめオーストラリアへ乗り込みます。オーストラリアでは友達の家に居候して仕事探しをスタート。お金も知り合いもおらず、ネイティブレベルの英語力もなかったため仕事はなかなか見つからなかったそうです。1~2カ月ほどお金もなく仕事も無い状態が続きましたが、その持ち前のポジティブな行動力でなんとか日本食レストランでの仕事にありつき、以降も自ら老人ホームに連絡してボランティアをさせてもらったりとワーホリ生活を堪能しました。そこでの生活を通して、やはり「人と関わり、サポートする仕事が好き」ということを再認識します。

オーストラリア時代。人と関わり、笑顔にするのが得意な大島さんらしい一枚です

海外を諦められない、、、あ、青年海外協力隊に入ろう!
が、立ちはだかる言葉の壁、やるべきことも手探りの厳しいスタート

オーストラリアから帰国した後も、海外への熱はくすぶり続けました。今度は自分のもともとのスキルである作業療法士の資格を活かして、海外で仕事をしてみたい!という思いが強くなっていったのです。しかし海外で作業療法士をやるためには別の資格が必要な上、インタビュー試験では英語のスキルも試されます。現にその資格を受ける人たちは英語ペラペラは当たり前、スペックの高いお医者さん達が目指すようなところだったのです。「自分が今からそこまでになるためには時間もお金もかなり厳しい…」と悩んだ結果、「あ!海外協力隊なら語学も学べて海外で働けるじゃん!」と思い当たり、サクッと参加を決意したそうです。

海外協力隊は派遣先の希望を出すことが出来るのですが、大島さんが選んだ場所はコスタリカ。何故コスタリカ??と伺ったところ、「話している人口が多いので、スペイン語圏が良かったんです。あとはコスタリカは要請の内容が自分のスキルと合っていたこと、更に幸せランキングで上位の国だから行ってみたくて。」と、なんとも素直に教えてくれました。

しかし、幸せランキング上位の国といっても、派遣先はコスタリカの超田舎で貧しい人たちが暮らす地域。そこに住む、体に障害のある子供たちのいる学校で、彼らの生活を支え、向上させるのが大島さんに与えられた仕事でした。とはいっても、日本で2カ月、現地で1カ月と合計3か月のスペイン語研修しか受けていない大島さんが、最初から何か出来るというわけではなかったと言います。現地の人たちも「なんだ??何やら言葉もあまり分からない日本人の女の子がやってきたぞ??何が出来るんだ???」という雰囲気だったそうです。相手が何を言っているかも良く分からないまま、毎日朝7時から派遣先の学校へ行き、ひたすらクラスを巡回しながら生徒たちの様子や状況を分析し続けたそうです。
大島さんが要請された案件のひとつに、「廃材を使って、身体が不自由な人の支えになるものを作る」というものがありました。日本のように既製品の優れた製品が潤沢にあるわけではないので、そうしたものは全て手作りしたり、工夫するしかありませんでした。大島さんが最初に作ったのは廃材の牛乳パックから制作した、曲がってしまった手をサポートする自助具。見た目も悪く、使い勝手も良いものだとは言えませんでした。それでも好奇心旺盛、体を動かしてモノを作ることも大好きな大島さんは、日本で売られている既製品を参考にしながら、町中の道具屋さんを巡り、用具を揃え、廃材置き場から使えるものをピックアップし、通気性や耐久性、使い心地などを工夫しました。色々な子供たちに試してもらううち、大島さんの作るモノは次第にグレードアップ、現地の人たちにも受け入れられるようになり、「こんなものを作ってほしい」といった要望を受けるようになったといいます。

自作の自助具を使ってもらい改良を繰り返す、なかなか根気のいる作業ですが、元廃材とは思えない品質(!)

もともと病院での仕事でも、患者さんの話を聞くことが得意で、色々なことを広くこなす「なんでも屋さん」だったという大島さんは、とにかくまず「良いヤツだと思われて信頼を勝ち取ること」を目標に活動するうちに、現地の人たちとも打ち解けて、困りごとを相談されるようになっていきました。

コスタリカを象徴するPura Vidaが変えた人生観
そして帰国後、完全に燃え尽き症候群に…

「コスタリカには”Pura vida!”という言葉があるんです。」と大島さんが教えてくれました。これはコスタリカ特有の言葉で、非常に幅広く使われるため日本語に翻訳するのは難しいそうですが、「なんとかなるよ」「大丈夫だよ」や「調子どう?」に対して「良いよ」と返答する時にも使える万能ワードなんだとか。もともと困っている人を助けるという意識の強いコスタリカでは、人とのかかわりをとても大事にするのだそうです。援助する側も、される側も「してあげてる」「してもらっている」という感覚は皆無で、当たり前のことのように「一緒にやろう!」と一つのことを協力しながら成しているような、そんな感覚が彼らにはあったそうです。「お金やモノが豊富にあるから幸せなのではない」ということを、毎日明るく助け合いながら暮らす彼らから学んだと言います。

もう一つの現地での大きな出会いは、モルフォの人たちとの出会いでした。コスタリカの障害者自立生活センターである”モルフォ”は、身体障害のある人々が地域で自立した生活ができるよう、障害者の理解を広める啓発活動、介助者の養成、車椅子クッションの作成に加えコスタリカコーヒーの輸出を手がけていました。引きこもりがちな障がい者達が、自らの意思で自立して生活ができるようにしよう!というのがこのグループのミッションで、当時、特別支援学校で働いていた大島さんは、その活動に興味を持ち、そのグループの講演やワークショップなどに参加するようになりました。このモルフォとの出会いはその後、大島さんがコスタリカコーヒーの輸入業を始めるきっかけともなります。

しかしその濃厚なコスタリカでの任務を2年で終え、帰国した大島さんは完全に燃え尽き症候群でした。やりたいことを全部やりきった達成感で、何を目指して生きればいいのか分からなくなったのです。一度作業療法士という仕事を離れて、様々なアルバイトをしたと言います。色々なことを経験しながら、少しずつ「自分は何がしたいのか」「何が出来るのか」ということを整理していきました。

その結果、「障がい者の人たちが自分らしく生きる、やりたいと思ったことはちゃんと出来るようなサポートがしたい」という思いに至ります。その思いが芽生えた頃、コスタリカの”モルフォ”から2人のメンバーが、車いす製作の研修のため来日します。2人のための通訳とアテンドをしながら共に過ごすうち、「障がい者の自立した生活」を目指す彼らの強いパッションや考え方に強く共感したと言います。大島さんはもともとコーヒーが大好き、更には障がい者の人たちが好きなように生きられるようサポートしたい、という思いから、コスタリカコーヒーの輸入を通じて現地の障がい者の自立支援を行う事業を始めよう!と思い立ったのです。

「ちょっとの幸せ」を届けるためのビジョンが人々の共感を呼ぶ

そう思い立つと行動の早い大島さんは、海外協力隊時代の仲間であった2人のメンバーに連絡し、知識ゼロの状態から、輸入業を手掛けるナチュリカを起ち上げました。周りに優秀な人たちがいてくれてかなり助かったと言う大島さんですが、そうは言っても事業はやはり思ったより簡単ではなかったそうです。輸入コストや品質維持の難しさ、そして活動を広めることの難しさなど、課題は山積みでした。

大自然で育てられたコスタリカコーヒーは、1万3千キロ以上を経て日本へ輸入されます。

そこで、それらの課題を解決するための資金を集めるべく取った手段はクラウドファンディング。3人で目標金額を決めた時は不安だったと言います。3人のネットワークを持ってしても集まらなかったらどうしよう?もう少し目標金額下げようか。。。などと話し合いを重ねたそうです。クラウドファンディングは失敗するととにかく恥ずかしい上に、信頼にも傷がつく資金調達方法で、ゴールを達成しなかった時には投資してくれた人にもなんとなく申し訳無い気持ちにもなります。祈るような思いで始めたクラウドファンディングでしたが、結果は目標の2倍の金額を到達。この結果は大島さんにとって大きな自信につながりました。これまで、自分のビジョンは正しいとは思っていても、共感を得られるのかというところが分からなかったからです。

大島さんが経営するナチュリカはまだ始まったばかり。「コスタリカのコーヒーの美味しさを広く日本に知ってもらいたいですし、私たちの活動に共感してもらえる人が今後増えれば良いなと思います。人に”ちょっとの幸せ”をもたらせることが重要で、コーヒーを買ってくれた人も、その1杯のコーヒーで少し人を助けることが出来たという”ちょっとの幸せ”を感じられる、そんなビジネスモデルなんです。」と語る大島さんは、利益を追求しすぎて本来の自分たちのビジョンに矛盾が生じてしまうことを防ぐために、会社で働きながら、ナチュリカの事業に取り組んでいます。安定した収入を得ながらの方が、当初の方向性をブレさせることなく進められるのだと言います。起業は会社を辞めてからするもの、という概念にとらわれない、柔軟な大島さんらしい起業スタイルです。

最後に、起業してみたい人に大島さんからメッセージを頂きました。

「経営は未知なので、その第一歩には勇気が必要ですね。不安もたくさんあるし…。でもクラファンを通じて、支援してくれる人が沢山いることが分かったから、自分たちは間違っていないと気づいたんです。実は会社という箱を作るだけなら、ちょっとの勇気で出来ちゃうんですけど、その先にどうなりたいかがきちんとあるかどうかが重要ですね。それがあれば誰かしら応援してくれるし、自信につながるんで。最初は超不安ですけど仲間とちゃんと決めて、これまで積み重ねた人とのつながりも大切にしたいですね。クラファンでお金を投資してくれた人を裏切ってはいけないプレッシャーも少しありますが、いつでも感謝を忘れずに!」

皆さんも大島さんに聞いてみたいことコーヒーのご注文があればお気軽にご連絡してみて下さいね。

◆ナチュリカ HP
https://www.naturica-cr.com/

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