傷だらけの起業戦士100人インタビュー第5回:株式会社 セミ・チャームドライフ・アソシエイツ 新谷 竜輔(しんや りゅうすけ)さん

起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。

爽やかな見た目からは想像もつかないほど熱く、パッション溢れる新谷さん。

5人目の起業戦士は、株式会社セミ・チャームドライフ・アソシエイツ 代表取締役 新谷竜輔(しんや りゅうすけ)さんです!新谷さんは現在、PRやイベントの企画・運営、ラジオ番組制作、地域活性化につながる新規事業への参画など幅広く活躍されています。今回は新谷さんに、学生時代から会社員時代の苦労話やそれらを経ての学び、起業のきっかけや将来の展望についてお伺いしました。

不登校の生徒会長を経て、
剣道と勉学に明け暮れた中学時代

新谷さんは小学校時代、実にアウトローな生活を送っていました。当時、学校の授業以外に、社会で学びたいことが多く、杓子定規な勉強ばかりの学校に通うことが苦手だったそうです。その思いが募るにつれ、4年生~5年生は学校へほとんど行けなくなり、代わりに図書館通いを始めます。新谷さんが図書館で出会った「当時の師」と仰ぐ司書の先生は、授業に出ない新谷少年に対して理解を示し、図書館通いを許してくれたばかりか、勉強も教えてくれたり、人生の道しるべとなるような本をたくさん紹介してくれました。授業にはほとんど顔を出さない新谷少年でしたが、なんと学級委員長を務めたり、クラス会を開いたり、放課後にみんなと話し、いじめの撲滅に奔走したりとリーダー的な存在でした。やりたいように過ごした小学校生活でしたが、周囲の大人たちは決して頭ごなしに叱ることもなく、自由にさせてくれたと言います。新谷さんも「かなり周りの人に恵まれていた」と当時を振り返ります。しかしその有難さに気づき、また、自分が嫌なことから逃げていたという思いから、「中学に入ったら生まれ変わろう!」と決意します。

中学に入ってからの新谷さんの変貌ぶりは、親も心配するほどでした。所属していた剣道部は超スパルタで、毎日猛烈な練習量。そして帰宅するとすぐに机に向かって勉強。部活で限界までエネルギーを使い切りフラフラの状態でしたが、「どちらかをやっているからどちらかが出来ない、という言い訳は自分で許せない」と全てに全身全霊を注ぎます。その結果、新谷さんは剣道では県大会で優勝するほどの実力をつけ、更に高校は福井県でもトップクラスの進学校へ入学します。

勉強以外をやりすぎ自転車選手として大手メーカー就職!
からの、やりたいこと全部入りの超多忙な大学時代

10代から剣道やトライアスロンで体を鍛えていた新谷さん、メッセンジャー時代には雑誌の取材も受けたのだとか

高校は県中の猛者たちが集まる学校だったそうです。頭が良く、スポーツ万能、ルックスも性格も良い人たちが集まるトップの進学校で、新谷さんは勉強に早々に見切りをつけ、自転車、ドラム、剣道にトライアスロンと、幅広くチャレンジし、大いに活躍していました。そのためか、「当時の偏差値は30台くらいだったのでは」と新谷さんは苦笑い。にも拘らず、その体力とセンスを買われ、自転車部の選手として、高校卒業後は県内の大手メーカーへ入社します。午前中は会社員として働き、午後はシドニーオリンピック候補の強化選手たちに交じって練習する日々が始まりました。メンバーは全員プロ意識の塊。そこで自分との意識の歴然たる違いを目の当たりにします。「これは自分がやるべきことではない」と悟った新谷さんは、1年で退職を申し出ました。しかし、これに対し当時の社長から、「プレゼンして俺を納得させろ」と言われます。自分の人生設計についてや、どういった考えをもって退職したいのか。図らずも18歳で迎えた人生初のプレゼンは、退職のための社長プレゼンとなり、この経験はその後の新谷さんの方向性にも大きく影響を与えます。

こうして会社を辞めた後は、とにかくある程度良い大学へ行かないと話にならない!と思い、半年間真面目に勉学に励み、晴れて青山学院大学経済学部へ進学します。

大学時代の新谷さんは様々な経験をされています。大学生活のスタートは、超体育会系の体育会剣道部でスタートしました。それは、4年生の先輩の身の回りの世話を24時間体制でこなし、アルバイト時間と授業時間以外は先輩について回る、という青学のキラキラしたキャンパスライフイメージとはほど遠いものでした。そして、1年生を終えた時に、新谷さんは青学の夜間部へ転入します。というのも、スターバックスコーヒーでアルバイトとして働き始めていた新谷さんは、年齢も性別も、出身やバックグラウンドも関係なく、仕事がデキる人がどんどんステップアップしていく外資系の人事システムに衝撃を受け、学生生活2年目にして社会人と学生の両立という道を選んだのです。その生活の1年目、大学3年生からは昼間はとにかく剣道部とアルバイトの両立。夜は授業。そしてその2年目、大学3年生からは晴れて剣道部を退部し、昼は社会人として働き、夜は授業とゼミを受けるという完全な二重生活に加え、ファッションモデルや、自転車メッセンジャーとしても働きました。それに加えて、6カ月間休学してカンボジアでのボランティア活動も経験されたそうです。列挙するだけで体力と脳みそを消耗するような生活ですが、とにかくやりたい!と思ったことは全部やる!という全部入りスタイルが新谷さん流。そのため、卒業時には単位が足りなかったそうですが、なんと交渉の末「夜間部に通いながら過ごした社会人としての日々を、現役の夜間部学生に伝える講座を開催することを学部長に約束する」ことで、卒業単位をもらえたそうです。(その交渉力も驚きですが、青学めちゃくちゃ柔軟ですね…)

地元→東京→未知の中東での非日常体験。そして
大きな挫折を経て感じた「日本人である」ということ

卒業後は地元福井の新聞社に就職。(株)福井新聞PRセンターに在籍し、主に広告代理業に従事しました。担当したのは、一癖も二癖もあるクライアントばかりだったと言いますが、そういった方ともじっくり膝を突き合わせて話を引き出して打ち解けて行く、という事が自分に向いているということを発見することになります。そして仕事の楽しさを覚えた新谷さんは365日毎日ほぼ休みなく、他人の3倍も4倍も働きました。しかし同時にこの頃から、東京で自分の力を試したいという思いが芽生え、上京を決意します。

上京後は、大手広告代理店のPR会社を経て、国内大手の商社と台湾の国営企業による合弁会社へ入社しました。入社研修を経て派遣されたのはウクライナ。そこでダム作りのため、地域の方々へのダムのPRや建築工事折衝をする仕事でした。これまでの交渉術に加え英語での理論武装、しかも実地での交渉経験はその後のビジネススキルにも大いに役立つこととなります。そして次に派遣されたのはアラブ首長国連邦のアブダビ。ここで新谷さんは何故か、これまでの経歴からはほど遠い、プログラマーとしての訓練を受けます。それは、IQ200ほどの超優秀な韓国人やインド人達と、データベースプログラム技術者の研修と称し、JAVAスクリプト、C言語、Perl、などあらゆるプログラム言語を6カ月で習得するというものでした。インド人の友人に助けてもらいながらも彼らとの明確な差を感じ、やはり自分の特性はプログラマーではなくコミュニケーターなのだと改めて感じたといいます。

その後、やはりプログラマーとしては不適格となった新谷さんは、レバノン・シリアの担当となりました。そこではセダンの後部座席に乗り、車内には、会社からあてがわれた元海兵隊の屈強な運転手とボディガード、加えて自費で雇った現地人通訳1名の計4名で移動し、ときには、防弾のアタッシュケースで頭を隠しながら狙撃されないように建物に入る、といったこともありました。その生活自体は苦ではなかったものの、やはり気付かないうちに、様々なストレスや疲れが蓄積していきました。しかし、やっと任期が終わりを迎えた頃、台湾での勤務に戻れると聞かされていたはずなのに、今度はアイルランド行きを命ぜられます。その時に新谷さんの中で完全に何かがプツンと切れてしまったといいます。そして、不安定な精神状態のまま、なんと会社に何も連絡することなく、とにかく夢中で日本へ戻るべく飛行機に乗り込んだのです。

その後、無事に日本には戻れたものの、海外ですごした日々を反芻するうちに、自分がどこまで行っても「日本人である」というアイデンティティが強烈に芽生えたといいます。また、その日々で出会った、様々な国の様々な人々のことを思い返し「彼らのように毎日を大切に、エネルギッシュに、後悔なく生きていきたい」と思うようになりました。そしてそれと同時に、自分たちがいかに恵まれているか、いかに日本が恵まれた国か、ということを改めて実感し、それが新谷さんの現在のビジネスへの情熱に繋がることにもなりました。

人の生活を少しだけ幸せにする手伝いがしたい
海外での経験を日本、そしてローカルへ還元したい

その体験を経て、新谷さんは帰国後も会社員をやるという考えにはなかなか至らなかったと言います。とくにレバノン・シリアでの経験から、「強い国家は、強いローカルが作る」ということに気づいたのです。そして、「グローバルな視点で、ローカルに特化したビジネスがしたい」という思いで起業を決意しました。新谷さんが名付けた会社名にある「セミ・チャームドライフ」は、パーフェクトじゃなくても良い、ちょっとだけでも良いから、人が幸せになる、笑顔になるような手伝いをできるようにという強い思いから。とにかく、自分に関わってくれる人を少しでも笑顔にしたいと思っているそうです。

最後に、起業するために必要なことについて伺ってみました。

「起業とは、自分の人生をさらに豊かにするための、一種の選択肢にすぎないと思います。起業家よりも会社員のほうが合う人は多いですし。今の自分が幸せなら、もちろん、いまのままの会社員でもいいし、ちょっと人生を変えたいなら、無理に起業せずとも、会社員としての転職でもいいんです。たとえ、実際に起業したとしても、例えば、上司が合わない、今の給料に不満がある、勤務時間が長い、満員電車に乗りたくない…といった様々な不満的要素が一挙に解決されるわけではありません。起業家だって、もちろん社会の一部ですからね。

自分は社会にどう貢献したいか、起業人としてこうなりたい!という明確な理想像がしっかりあって、あとはとにかく人の何倍も働く(笑)。事業内容自体は変わったって良いんです。そして、常に達成可能な目標設定を行うことが大切です。自分の状況を把握して、達成できる目標を立てて、それを少しずつクリアしていく。あとは、もうとにかくやってみる。べつに途中で辞めたっていい(笑) 
そんな日々を、ひたむきに積み重ねていけば、いつか、先ほど述べたような不満的要素から解放される日がくるかもしれませんね。」

今、新谷さんが新たに手掛けている案件の一つに、大手グループ企業が仕掛ける地域の活性化プロジェクトがあります。そのプランを立ち上げたのは、その企業の若い人たち。彼らが一生懸命企画を考え、新谷さんにコラボレーションを依頼して来たのだそうです。「若い人たちが頑張ってるからそれに応えたいですよね。」と笑顔を見せながらも、「特にイベントなども中止が相次ぎ、世の中に暗い雰囲気が感じられる今だからこそ、そのプロジェクトを通じて、そこに住む人が今よりちょっと楽しい毎日を送れるような、新しい時代、新しい働き方を創出したいんです。」と力強いお言葉を頂きました。

皆さんも新谷さんに聞いてみたいことやプロモーションや新規事業のご相談があればお気軽にご連絡してみて下さいね。

セミ・チャームドライフ・アソシエイツHP
http://www.semi-charmed-life.com/

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