傷だらけの起業戦士100人インタビュー第6回: 有限会社フラクタル・デザイン 代表取締役 藤本 健(ふじもと けん)さん
起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。
6人目の起業戦士インタビューは、メディア運営をはじめ、ニコ生番組や、外部メディアでの執筆などを手掛ける有限会社フラクタル・デザイン代表取締役の藤本健(ふじもと けん)さんをお招きしました。DTM(※)をされるなら知らない方はいないであろう、業界ではトップクラスの影響力とPV数を誇るメディア「藤本健のDTMステーション」の運営を始め、その他さまざまなメディアでも企画や執筆を担当されている藤本さんですが、その源流はどこにあったのでしょうか?改めてお話を伺ってみました。
※DTM…デスクトップミュージックの略。パソコン上で行う音楽制作のこと
「科学」にのめりこんだ少年期。太陽電池との出会い
現在、確かな電子工学・情報工学の知識に根ざした情報発信で人気を博している自社メディアを運営されている藤本さんですが、その好奇心の源流となったのは、小学校の頃から愛読していたという学研が出版していた「科学」という雑誌だったそうです。当時はその雑誌を多くの生徒が定期購読していて、藤本さんも「科学」を小学1年生の4月から取っていました。毎月送られてくる雑誌と付録から、その中でもとりわけ機械やプログラミングへの興味を掻き立てられていったのです。そしてクリスマスに買ってもらったのが、組み合わせてラジオやアンプが作れる電子ブロック。この電子ブロックを通常45回路で作るところを、それでは飽き足らず最終的には150回路まで増設して、より高度で複雑な制御ができるシステムを夢中になって作り上げていました。この頃から自然と「将来はエンジニアになろう」と考えるようになっていきます。
そんな藤本少年も中学2年になると、ロンドンの日本人学校へ親の都合で転校となりました。学校には日本の全国模試でも1位を取るような、偏差値70当たり前の優秀なエリートたちが通っている中、入学当初の藤本さんはビリの成績でした。それでも周りの優秀な友人たちに感化され、次第に成績をアップ。学生生活の後半では理科に関してはトップを取るほどの挽回ぶりでした。そして当時、日本から派遣されてきた先生達が非常に優秀な人が多かったそうで、中でも物理と化学の先生から教えてもらった太陽電池というものに強く心惹かれていきました。というのも藤本さんの父親は当時外資系の石油会社に勤めており、「石油はいつか枯渇する=そうなったらうちの家は破綻だ!」という漠然とした恐怖心を抱いていたそうです。そこで自然エネルギー発電というものの存在を知り、中でも太陽電池の魅力に大層感激したというのです。(この経験が現在の藤本さんの新しい事業にも実は結びついています。)
高校2年でシンセを自作??そうだ、企業に売り込もう!
さて、日本に戻った藤本少年は、地元の進学校の普通科へと進みました。以前から祖父の影響でエレクトーンを、叔父の影響でギターを弾いていたという藤本さんは、軽音学部に入ろうとするもいまいち馴染めず、代わりに自分でシンセや楽器用エフェクターを作ったりできる電気部へ入部します。この頃から藤本さんは機械やコンピューターへの熱がますます白熱し、学校の勉強は全くせず、プログラミングに没頭します。
その頃、男子学生の間では無線が流行っていたそうですが、藤本さんは当時登場し始めた”マイコン”に拡張性を感じ、貯めていた約20万円のお年玉で購入します。更にはマイコンを使って様々な実験を繰り返しているうちに、シンセサイザーの制御方法も会得、アセンブラ言語をマスターして、必要なチップを組み込み、高校2年の夏には、自動演奏するシンセマシンを自作することに成功しました。そこで、藤本さんは「そうだ、企業に売りに行こう!」と当時の専門誌に広告を出していた企業5社に連絡し、なんと全ての企業から採用を勝ち取ります。
そこで、当時まだ秋葉原の小さなオフィスに社員4~5人ほどの企業であったHAL研究所に行き、製品化してもらうことになりました。というのも、大手でハードを作っている会社よりも、中小企業でも、周辺機器などを取り扱っている会社の方が、その製品の販売元としては適していると判断したからだそうです。高校生だった藤本さんはこのことをきっかけにHAL研究所に通うようになり、そこでメンター的に接してくれていた岩田さんというエンジニアの人から色々なことを学びました。この岩田さんという方は東工大卒、アルバイトから新卒でHAL研究所に入り、ゲームのプログラミングを担当していたそうです。まだ高校生だった藤本さんは、納品したプログラムにちょっとしたいたずらを仕掛けたりもしたそうですが、この岩田さんには全く歯が立たず、その仕掛けた隠しコマンドはすぐにすべて暴かれ、「あれ、消しといたから」とあっさりやり返されてしまう始末。他にエンジニアの知り合いもいなかった藤本さんは「社会人のエンジニアはこんなすごい人たちばかりなのか。俺では到底かなわない…」と実力の差を見せつけられることになりました。しかし、当時の藤本さんは、この敏腕エンジニアの岩田さんが、後に任天堂の社長になり、天才と呼ばれた岩田聡さんその人だったとは知る由もありませんでした。
1社に頼らず複数の会社から仕事を受ける”複”業スタイル確立
早期退職を活用して退社後、自身のメディア起ち上げ
岩田さんからも工学を勉強しろとアドバイスをもらった藤本さんは、その後、横浜国立大学へ進学します。この頃も変わらずHAL研究所での開発にも携わっていましたが、エンジニアの夢からシフトチェンジしようとしていたこともあり、この頃から電波新聞社で連載原稿を書くようになっていました。情報系の学科だったこともあり、様々な伝手で出版社からの依頼も順調に増え、就職を迎えた頃には「そうだ、俺は仮面サラリーマンをやろう、執筆の仕事もしつつ働けるところが良いな」と、考え始めます。藤本さんの基本理念は「リスク分散」で、とにかく一つ所だけに収入を偏らせては危険だ、と考え、ハナから会社に頼りすぎない、という、当時の学生としては珍しい考え方でした。
そして、就職先は、当時コンピューター系の情報誌を刊行したばかりのリクルート。大学時代からコンピューター関連の執筆はお手の物だった藤本さんは、その情報誌を経てエンジニア向けの求人情報誌部門で10年程度勤務したといいます。しかし「リスク分散」を考える藤本さんは、リクルートでサラリーマンとして働きながらも、夜や土日は別のメディアからの執筆の仕事を受けていました。あくまでも自分は会社員というよりは、自分で身銭を稼ぐフリーランスのような存在で、大口顧客がリクルートである、という割り切った考え方だったのです。そのため、年に何度かは目覚ましい働きを見せて、きちんと会社に存在感をアピールすることも忘れなかったそうです。
そんな藤本さんの起業のきっかけは実にユニークです。というのも、リクルートは当時、38歳で退職すれば退職金がもらえる早期退職制度を設けていました。その制度を利用して辞めようと決めていた藤本さんは15年勤め上げたその年にあっさりとリクルートを退社します。それからは、それまでに執筆していた色々な媒体の仕事を引き続き受けていたと言います。しかし、そんな中、次第に時代の流れが変わり、雑誌業界は低迷し、オンラインメディアは乱立。そこで無理をして執筆していくことに疑問を感じ始めたそうです。そこで2010年に自身が最も強みを生かせる分野に特化したメディアとしてライブドアブログ内に立ち上げたのが「藤本健のDTMステーション」。始めこそライブドアから原稿執筆料をもらう形での運営でしたが、1年後には企業のプロモーションを手掛ける自社事業として展開するようになりました。
10代の頃に憧れた、夢の太陽光発電が遂に現実に!
自身のメディアは大手メディアにも引けを取らない影響力とPV数を誇っていますが、現在の藤本さんの関心事は、中学時代に出会った太陽光発電の事業だそうです。
1994年には日本でも、個人が所有する太陽光発電の電気を電力会社に売ることができる余剰電力買取が開始されたそうで、藤本さんはなんと2005年に太陽光発電をするために家を建てたそうです。その後、2011年に太陽光発電事業が認められたのを受け、太陽光発電所の設置にトライ。当初すぐにはうまくいかなかったものの、デベロッパーに依頼する形で、2015年に最初の発電所を稼働。藤本さんは現在、合計約7000万円を投資して関東近郊に3つの発電所を所有し運用しているそうです。電気工事士の資格も無事取得し、発電所のメンテナンスも自身で行えるようになったのだとか。
藤本さんの当面の目標は、現在も好調な自社メディアは続けながら、この3つの発電所をうまく運用して「リスク分散」をすることだそうです。現在、その発電所の収入が、自分の収入の1/3程度になっているそうです。
―― 好きなことを好きなスタイルでやる。
サラリーマンをしていても会社だけに頼らずリスク分散をする。
藤本さんのお話を伺いながら見えてきたのは、今まさに言われている多様な働き方の確立や会社に頼らない自立力がいかに大切かということでした。サラリーマンは定年まで同じ会社で働くことが当たり前だった時代から、そうした他の人とは異なる働き方や考え方を貫くことは、なかなか出来ることではありません。しかし、藤本さんは驚くほど自然体で、それが当たり前だと思っているからこそ曲げることなくやってこられたのだと思います。”周囲の人が思う当たり前”に流されることなく、好きなことを貫ぬく潔さを以て、従来の型にとらわれない、これからの、そして自分らしい起業の形もあるのではないでしょうか。
皆さんも藤本さんに聞いてみたいことやプロモーション、執筆のご相談があればお気軽にご連絡してみて下さいね。
藤本健のDTMステーション
https://www.dtmstation.com/
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