傷だらけの起業戦士100人インタビュー第11回:オールアクセスインターナショナル株式会社 代表取締役社長 服部 弘一(はっとり こういち)さん

起業した人の人生には「失敗」がつきものです。そこには、傷だらけになりながら自分の力で駆け上がっていく戦士たちの物語があります。このインタビューシリーズは、そんな起業戦士達にお話を伺い、その数々の経験談から得た学びを、これから起業したいと考えている人たちに共有し、背中を押してあげられるような企画になれば、そんな想いを込めてスタートしました。

オールアクセスインターナショナル株式会社 代表取締役社長  服部 弘一(はっとり こういち)さん

  11人目の起業戦士インタビューに応じていただいたのはオールアクセスインターナショナル株式会社の代表取締役  服部 弘一(はっとり こういち)さんです。海外の優れたエフェクターやオーディオインターフェースブランドの輸入代理店とエフェクターブランドの海外販売を手掛ける現在の会社を起ち上げ、サウンドに対するその確かな目(耳?)利きで、日本はもちろん、海外市場に向けても輸入した楽器や機材を卸し、30年以上その業界でビジネスを続けています。

少年期、経営者に囲まれた
”英才教育”下で培った経営の嗅覚

服部さんは、愛知県で工場を営んでいた親の元で育ちました。親の仕事ぶりを垣間見たり、手伝いで取引先に集金へ行ったり、会社の会計を手伝うために算盤を習得したりしているうちに、いつのまにか経営の資金繰りや、世の中のお金の仕組みなどを感覚的に捉えていったと言います。これだけでも十分、経営の”英才教育”を受けているわけではありますが、更に親戚の叔父さんも会社の経営者であったことから、服部少年に色々と社会やお金の仕組みについて教えてくれました。「最初に目標設定をしっかりすること。まず百万儲ける。そしたらそれを元に1千万。1千万が出来たら億も見える」この叔父さんの言葉は今でも心に残っているそうです。そんな環境もあり、小学校高学年にもなると「何でもいいから社長になる」と周囲にも語るようになっていました。

もともと少年期には「神童」と言われるほど、優秀な成績を収めていた服部少年でしたが、高校時代からはそこまで勉学に勤しんだわけではありませんでした。服部さんは当時を振り返り「落ち着きが無く、地道な努力が嫌いだった」と言います。一方で、10代の頃は、当時ロックが全盛期だったこともあり、洋楽へ憧れを抱き、英詞の歌を演奏したり、洋楽のラジオを熱心に聴いていました。その影響もあってか、英語はなかなかの好成績をおさめていました。大学進学時には、「経営」を学ぶため「経営学部」も検討したそうですが、国語が大の苦手だったこと、数学や物理が得意だったこと、親が町工場を経営していたこと、この3つのことから総合判断し、電気工学科への進学を決めました。

出来ること×好きなこと
掛け合わせで勝ち取った渡米

23歳の服部青年。人生初のニューヨーク48番街、Sam Ash、Manney’s、Rudy’s等があった楽器店のメッカとも言えるストリートにて

そうして大学へ無事に入学はしたものの、就職活動をする頃には世の中はオイルショックによる不景気の真っただ中。電気工学という手に職が付く専門的な学科のため、専門職への就職はできると思われましたが、エンジニア、技術職といったそうした職には付きたくなかった服部さんは、自身のスキルや志向性を今一度整理しました。「①楽器や音楽が好き」「②ロックの本場へ行きたい」「③電気工学の技術について知識がある」このことから、当時、地元名古屋で海外市場への駐在派遣も盛んに行っていた楽器・音楽機材メーカーへ就職することを決めました。「音楽が好きだからという理由だけで就職先を選んだわけではありません。総合してみたらそういう判断になっただけです(服部さん)」もし就職先でうまくいかなくとも、当時、親戚のおじさんが経営していた会社へ行けばいい、というくらいの気持ちでした。

自身の持っている電気工学の技術や知識に英語のスキル、ロックへの純粋な憧れが相まって、就職後には、念願のアメリカへの赴任をきっちり勝ち取ります。(とは言え、英語に関しては就職する前からバイト代を自身で費やし、熱心に英会話学校へ通っていたそうです。)

超一流アーティストと築いたリレーション
ネクストステップへ

TOTOのメンバー、スティーブ・ルカサー&マイク・ポーカロらと共に

1978年から駐在したアメリカでの経験は、英語のスキル向上だけではなく、経営、マーケティングや製品リリース、宣伝、レコーディング、PA、製品、あらゆる知識とスキルが底上げされたと言います。しかし、音楽機材の業界と言うのは、ある意味でクローズドな業界。そのネットワークの中に深く入り込めなければ、生き残ることはできません。とりわけアーティストから信頼を得るには、高い英語力だけでは無く、機械工学の技術や知識に裏打ちされた提案力も必要でした。つまり、アメリカの音楽シーン第一線で活躍するスティーブ・ルカサー、トム・コスターやジェイ・グレードンといった超一流のアーティストの要望に応え、信頼できるパートナーと認めてもらわなければならないのです。「アメリカの人はあまり年齢では判断しません。相手の要望や質問にきちんと応えられたら認めてもらえる。だから当時はめちゃくちゃ勉強しましたね(服部さん)」

プロのアーティストやエンジニアとの仕事を通じて、本物のヴィンテージ機材がもたらす上質なサウンド、リアルなアーティストの声や彼らが好むサウンドのスイートポイントがどこにあるのかなどを直接知ることが出来ました。そして自身のネットワークが広がり、スキルが上がれば上がるほど、1メーカー企業の中で一社員としてやれることに限界を感じ始めます。「自分が聴きたい音が出る楽器や機材を扱いたい!」という強い想いから、会社を起ち上げる決意が固まりました。

成長し続ける必要は無い
大切なのはマネーゲームより”真”のやりがい

AKGを扱っていた頃のInter BEEに出展したブースにて

ある種、確信にも似た想いを胸に、海外の楽器や音響機器の輸入や、アンプの製造などを請け負う会社を立ち上げました。しかし、会社員を続けながら事業を始めたこともあり、睡眠もろくに取らない生活が続きました。昼は会社で仕事をし、夜には自宅の仮事務所にこもって、知り合いからタダでもらったFAXを使い、深夜に海外から来るアンプ製品などの注文を受ける、という毎日です。

起ち上げから何年かは儲からない日々が続きました。しかしどこかで「きっとうまくいく」と確信にも似た思いがあったそうです。それはこれまで身に着けたビジネスの嗅覚に加え、「失敗しても命までは取られない」という、どこか達観のようなものがあったからです。そうして腐ることなく自らを信じ、地道な努力を積み重ねるうち、少しずつ取り扱う製品数は増えていくことになります。

 RolandとAKG C3000Bでコラボした2000年頃。
AKGのマーケティングスタッフと東京のレコーディングショップを視察をする服部さん

「会社を経営する以上は、利益を生み出さなければなりませんが、最初から上手くいくことはありません。泥臭くやるしかないんです(服部さん)」

しかし一方で、服部さんは、常に成長を求めてマネーゲームに走るより、自分の好きなこと、面白いことをとことん突き詰められるスモールビジネスが合っているとも言います。

その理由を最後に、起業する人へのアドバイスと今後の展望と共に聞かせてくれました。

「起業する人は、最初に自分がどっちへ行きたいのかを決めた方が良いですね。毎年プラス成長して社員をどんどん増やして大きくしていきたいのか、自分のやりたいことを実現したいのか。今の自分の仕事は、海外のブランドに対して直接セールスやマーケティングの提案ができたり、新製品開発や、時には経営方針にも関われるので、そこが面白いんです。今年は何%アップを目指す!というようなマネーゲームだけではバカバカしいですし続きません。自分には特化した分野があって、そこにクオリティで差を付けられるから、他者が投資をしてくれると思っています。今後も、取り扱っているブランドがもっと日本で広く受け入れられるよう、少数精鋭の組織でやっていきたいですね」

「好きなことで生きていく」をきれいごとでビジネスにして失敗してしまう人が多くいます。そこに確かなビジネススキル、センス、地道な努力が合わさって初めて儲かるビジネス(=継続できるビジネス)になるのだという事が、今回の服部さんへのインタビューで痛いほど理解できました。

そんな服部さんが取り扱う、知識と経験に裏打ちされた高い品質の音楽・音響機材に興味を持たれた方は、是非ホームページもチェックしてみて下さい。


オールアクセスインターナショナル株式会社

https://allaccess.co.jp/

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